峠(上) / 司馬 遼太郎

2021/10/10
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77点

感想

主人公である河井継之助は、序盤は遊郭にばっかり行っている。

ここからの展開が楽しみ。

あらすじ

越後の城下

河井継之助は妻のおすがを長岡において、遊学のために江戸に旅立った。

十六文

江戸では古賀謹一郎の塾に通いつつ、吉原に何度も通った。

同じく塾生だった鈴木佐吉に、詩文の宿題をかわりにやってくれたら「焼き芋を16文がとこ、買ってやる」と言った。(がとこ=ぐらい)

小稲という遊女を買った際、階下で火事があり必死になって逃げ出した。

横浜出陣

ロシア艦隊が品川沖に「樺太をよこせ」とやってきた。
継之助は藩から横浜警備を命じられ、一隊百人を引き連れ出発した。
しかし、品川で女郎を買い、他の隊士を江戸藩邸に戻してしまった。

横浜にいる幕府外国方通訳官の福地源一郎を訪ねた際に、スイス人のファブルブランドという商人に出会い商館に招待される。
翌日商館でスイスやヨーロッパのことを聞き、日本も産業の発展が必要だが、それにより封建制度が崩壊するかもしれないと考えるようになる。

旅へ

継之助は藩邸に諸国遊歴願いを出し、備中松山藩の山田方谷に会いに行く。

ちりの壺

箱根の茶屋では長州の吉田稔麿と一緒になった。

途中、大垣藩では家老の小原鉄舟、津藩では継之助の恩師である斎藤拙堂とその弟子の土井聱牙(ごうが)を訪ねた。

京都で男に襲われていた女を助けると、その女の奉公先の家に招待され、その家の主人である織部という女性を抱いた。

備中松山

備中松山で山田方谷の開墾屋敷を訪ね、十数日後に入門を許可され一月半滞在した。

その後、長崎へ行き14日間滞在し、幕府軍艦観光丸艦長の矢田堀景蔵やオランダ人と会ったりした。

その後、山田方谷の元に戻り、ひと月ほど滞在し江戸に帰った。

庭前の松

継之助は江戸や横浜に少し滞在した後、越後に帰った。

越後では藩から出仕の声がかからず、しばらくは遊んで暮らしていた。

越後藩主牧野忠恭(ただゆき)が京都所司代に抜擢されると、継之助は「幕府は滅びる。就任すべきではない」と言いう意見書を提出した。
すると京都に呼び出されて忠恭に拝謁し、意見書の内容を述べた。

その後、忠恭が京都所司代という重職に耐えきれなくなると、継之助は辞任運動を命じられ、老中に忠恭が病気であることを伝え、忠恭は江戸に帰ることを許された。

2ヶ月後、忠恭が老中を拝命してしまうと、継之助は再び病気を理由に辞退させた。
越後牧野家の親類である常陸笠間牧野家が説得に来ると、継之助は激しく反論した。
忠恭は継之助を免職させざるをえなくなり、継之助は越後に帰った。

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